抄録 |
最近のコンピュータ技術・通信技術の発展はめざましく、メディアの状況を一変する様相を呈している。これまでは、著作物を含む情報の伝達はある程度の設備を有するメディア(テレビ局、映画会社、出版社など)によってなされることが中心となってきた。情報の伝達はメディアから一般大衆へ一方通行的に行われ、一般大衆はメディアによって送られた情報を受け取るのみであった。メディアによる情報の伝達はそのメディアの本拠とする国内を中心としてなされ、その範囲も限られたものが中心であった。著作権法は、芸術・学術の振興のために必要な範囲及び程度で伝達される情報を保護する制度であった。メディアによって伝達される情報は著作権法によって保護されてきた。著作権法は情報を直接の客体として保護するのではなく、創作的な表現を保護の客体とすることによって情報の保護を行ってきた。これによって、情報そのものの独占を認めることによる弊害を防ぎつつ、芸術・学術の振興のために、その創造的活動を保護しようとしてきた。その実現の方法として、著作権法は、情報の伝達をするメディアに対して権利を行使することを前提として、情報の伝達をすることに対する排他的な権利を著作権者に与えることによって、著作権者の保護を図ってきた。これまでは、情報の伝達が従来のメディアの手を離れていくにしたがって、新たなメディアに対して、著作権の保護の範囲を広げていくという手法で対応してきた。例えば、放送というメディアの登場に対しては、放送権という権利を著作権者に与えることで対応してきた。1980年代になって、複製機器の発達に対して、複製機器に製造者などに著作権法の効力を及ぼすという手法を用いることによって、メディア以外の者から対価を取得する機会を保障することが行われた。この制度は、情報を伝達するメディアから対価を得るという基本的な構造が変化しつつあることを示している。さらに、1980年代のコンピュータ・プログラムを保護の対象とすることによって、従来の芸術・学術の振興を目的とする著作権法から、芸術・学術の振興と技術の保護の二つの異なった性格を持つものを保護する著作権法へと変化することなった。ただ、情報の伝達をする者に対して権利を及ぼしていくという従来の法技術的な処理は維持するものであった。国際的な著作権法の調和は、19世紀後半に成立したベルヌ条約を中心として発展してきた。ベルヌ条約による国際的な調和は、保護の対象である著作物が国境を越えて移動する性格を持つものであることを踏まえたうえで、著作権者が著作物が転々と流通する各国で保護を受けられるように、保護を受ける条件を軽減し、内国民待遇受けることを基調とし、保護の水準を定めるものであった。ベルヌ条約では、著作物の伝達は一国から他の国へ直接なされるのではなく、著作物の複製物(本、レコード)が国境を越えて伝達することを前提とし、国境を越えた伝達に対しては水際措置で対処されるものとしている。ところが、コンピュータ技術・通信技術の発展によって、インターネットなどの新しいメディアによって、多くの人が情報の伝達をすることが可能になった。これは、情報がメディアによって独占される時代から、万人によって共有される時代への変化を象徴するものであり、基本的には、社会的に好ましいものと考えられることができるであろう。しかしながら、従来の著作物の伝達をする者に対して権利行使をすることを前提とする著作権法はその限界を示すようになってきた。また、情報は国境を越えて伝わるものではなく、国境とは関係なく伝わっていくものとなった。これは、従来の属地主義を原則とするベルヌ条約の基本的な考え方の限界を示すようになってきた。現在、このような状況に対して従来の枠組みを維持しつつ、著作権者の権利を強くすることで対処しようとする動きが顕著である。しかしながら、著作権法は、著作権者のためにのみあるものではなく、著作権の保護により、芸術的・学術的創作へのインセンティブ(及び技術の開発へのインセンティブ)を与えることによって、芸術・学術の振興(及び技術の開発)を図ることを目的とするものであり、いたずらに、著作権の保護を強化することはその基本的な目的に反するおそれがある。さらに、著作権に保護の強化が、現実に創作者に利益をもたらすかについても十分な検討が払わなければならない。そのような観点からマルチメディア・ネットワーク時代の著作権の国際的保護を考えてみたい。 |