抄録 |
天然資源貧困国の日本の経済繁栄は、労働付加価値は低くても技術付加価値の高い高度技術工業製品の輸出によって齎されたことは間違いない。この経済発展の歴史の中で、特許制度はかなり重要な一つの役割を分担して来たと思う。日本は昭和34年に、現在の特許法を外圧を受けることなく制定した。その後部分改正が多数行われ、特に、医薬分野に関しては、昭和50年に化学物質と医薬特許の導入、昭和62年に特許権期間延長のための重要な改正が行われたが、これらも国内の研究指向型製薬企業の要請に応えたものであった。日本の工業製品の大量輸出による、アメリカ人の言うアメリカの被害は、日本の特許制度とその運用にも原因があるとして、アメリカ貿易代表(USTR)は多くの要求を持ち出し、日本は、その担当部分について対処した。GATTウルグアイラウンドのトリップス協定(以降、TRIPs)も、アメリカの充分満足できるものではなかった様に思われる。TRIPsという国際合意が成立したにもかかわらず、平成6年8月に、日米合意と言われるレター交換が行われた。双務的な約束であるが、利用発明の裁定実施権に関しては、TRIPsの合意を超えるものであり、アメリカ特許法には存在しない制度でもあるので、双務的な約束がなされた理由は理解し難い。そして、今日、産業分野によってはその影響が心配されている。本稿では、これらの歴史の流れに沿って、功罪と問題点を、主として産業的立場から検討したい。検討が医薬分野に傾斜する点があるが、それは、医薬産業がパテントセンシティブであることと、筆者の経験の最大のソースであった為であることをご理解頂きたい。 |