抄録 |
昭和41年(1966)6月発刊の特許判例百選(初版)(別冊ジュリスト)の巻頭で、兼子一博士は、特許法をめぐる判例の多くは未だ流動的であり、未完の素材であると評されたが、その後20数年経っても特許権の権利範囲に関する均等の議論についてすら、判例の行方は混沌としていたのが実情である。平成6年(1994)2月3日に、この世界のしじまを破るかのように言い渡された本件の原審判決は、その事案の解決手法に対する毀誉褒貶をよそに、わが国における均等論につき実質上初めての判断を示すことを、最高裁判所に迫ったものとしての功績は少なくない。特許侵害事件の均等論については、古くは、大審院大正11年12月4日の判決があり、戦後の最高裁による判決例の中にも、均等を理由に侵害の成立を肯認した原審判決に対する上告を棄却したものが1、2散見されるものの、上告審判決としての理由には見るべきものもなく、平成の世を迎えていたのである。特許発明の権利範囲の解釈の指針について判示したといえる最高裁の判決は、筆者の教えるところではこれまでに7つあるといえるが、権利範囲の確定に当たって、公知技術を参酌しなければならないことを宣明して原審判決の採った公知技術除外の手法を肯認し、異論なく重要な先例的価値を有すると評価されているものは、唯1つだけしかない。このような背景の下で本件の最高裁平成10年2月24日第三小法廷判決は、原審判決を破ることと引き換えに、均等論適用の要件を5つ明示した。本稿は、プロパテント時代の到来といわれる21世紀を迎えて、これらの要件が今後の判例・学説の動向に如何なる影響を与えるかにつき、筆者の考えの及ぶ限りで占おうとするものである。 |