役員談話室

経営革新の推進力は何だったのか

2008年03月04日

経営革新の進め方(三菱電機・野間口会長)

11月6日、富山県の黒部市で、「異業種経営懇談会」なる会議が開催されました。知財協会の副会長であるYKK佐藤副社長の提案で行われたものです。「知財協会は、全業種の集まり、異業種交流には絶好の場である」と感じた佐藤副社長が、知財協会の役員たちを、YKKの拠点である黒部に集合させ、交流することを提案したのです。

三菱電機の野間口会長(JIPA会長)、味の素の江藤常務(JIPA副会長)、ブラザーの大門常務(JIPA副会長)三菱化学の田中執行役員の諸氏に集まってもらいました。

そんな豪華なメンバーを相手に、小生は司会するはめになりました。司会者として、あれこれとストーリーを考えましたが、無駄なことでした。さすがは経営者たちです。論点を明確にし、互いにかみ合う意見を発します。司会者は不要も同然でした。

いろいろと含蓄のある言葉をいただきましたが、小生は、三菱電機の野間口会長の経営姿勢に、とても感動しました。野間口さんが三菱電機の社長に就任したのは、2002年。三菱電機が最も苦しいときでした(ITバブルの崩壊直後)。「内部留保も枯渇、技術で活路を求めるしかない」と決断し、「知財経営」「技術経営」をやってきたとおっしゃるのです。

野間口さんは、研究所の出身です。研究所出身なので、技術にこだわり、すばらしい技術で会社を伸ばそうとしたかというと、そうでもないのです。

「事業部間のシナジー効果を狙った」とおっしゃいました。そういいながら、「シナジーは、耳あたりのよい言葉だが、実行は難しい」とも。そして、「実行を確実にするために、事業部のプロジェクトにコーポレートを入れた」「そこで獲得した知見を、コーポレートが別事業部のプロジェクトに活用した」とおっしました。

「強いコーポレートでなければシナジーは引き出せない」

「たいがいの場合は、事業部が強かったが、コーポレートは社長と情報・価値を共有し、事業部をリードした」とも。また、コーポレートが、海外にある事業所と日本の事業所を結びつけ、事業所間のシナジー効果を出したようなのです。

野間口時代に、コーポレートがだんだんと成長し、事業部にあった権限(閉ざされたもの)を徐々に弱め、社長による事業の「選択と集中」が出来るようになったのではないでしょうか。

事実、日経ビジネス(11.26号)によれば、野間口社長は、すさまじい「選択と集中」を行なっています。花形だった携帯電話からの撤退、DRAM事業の売却を行って、弱い事業から経営資源を引き上げ、FA、昇降機、自動車部品など地味であるが、競争相手の少ない事業(別名:“下位打線”)に特化します。ただし、闇雲に撤退したわけではありません。半導体事業は大幅に縮小したものの、FAに組み込まれ、差別化の鍵となる「パワー半導体」は強化しました。

いまや、三菱電機の収益は万全です。株価も、2003年以降、右肩上がりです。

「親戚に言ったんだ、三菱電機の株価を上げるから、是非、買っといてねって」。「そのとおりになって、よかったよ」と、志をとげた笑顔でおっしゃるのでした。

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鈴木 元昭(日本知的財産協会 副理事長)

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