役員談話室

読書と歴史について

2008年11月07日

高校時代に家庭教師をして下さった岡山大学の生物学の先生であった渡辺宗孝先生なくして今の私はないと言えます。「大学に入ったら読書をしなさい。そして読書ノートを作りなさい。」と言って頂いた言葉を今でも忠実に守っています。

「歴史家が客観的であるという事は、その歴史家が社会と歴史とのうちに置かれた自分自身の状況から来る狭い見方を乗り越える能力−いわば完全な客観性が不可能であることを認識する能力を持っていることを意味する。」これは46年振りに再読した『歴史とは何か』(E.H.カー 岩波新書)の本の一部です。

ある若いベンチャーの社長が「宗定さんの話は面白い。」と言ってくれるので時々一緒に食事をしますが、ある時私が「貴男は社長なのだから、歴史を勉強しなさい。」と言ったら、彼が「何故、歴史なのですか?」と反問してきました。とっさに「歴史はいらないモノを削ぎ落としているから。

例えば、毎日、朝刊には一面トップに記事がデカデカと出るよね。“サブプライムで○○が倒産した”とか“○○首相が突然辞意表明”とか。でも100年後になって見るとどの記事が残っているだろうか?殆どどの記事も残っていないはずだよね。」と答えました。彼はその瞬間「あっ!そうか。なるほど!」と強く納得してくれました。

「じゃあ、何を読めばよいですか?」と聞いてきたので、これもあまり考えることなく「まあ、取り敢えず手軽な岩波新書の『歴史とは何か』というE.H.カーというイギリスの学者の書いた本と読んでごらん。“歴史とは現在だったか未来だったかと過去の対話である。”と書かれていて僕が大学1年の時に読んで感銘を受けた本だよ。」と答えました。

大学時代の読書ノートを引っ張り出すのは初めてだったのですが、若い人に無責任なことを言ってしまったのでは申し訳ないと思い、埃を被った人生最初の読書ノートを書庫の奥から引っ張り出してきて見ました。たしかに「歴史とは何か」を1962年8月に読了したことは書かれていましたが、印象とか書かれた内容の引用はなく、大学ノートの半分が白紙でした!

仕方がないのでもう一度読み直してみようと思って本屋で買って再読したのです。最初の方に「歴史とは歴史と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である」と書かれており、一方、本の最後に近い所に「歴史とは過去の諸事件と次第に現れてくる未来の諸目的との間の対話と呼ぶべきである。」と結論付けられています。

私の46年前のノートは白紙でしたが、私の頭の中に現在と過去、未来と過去との2つの時間軸の対話が歴史であるという事が書かれていたという記憶はずっと残っていたのでしょう。

特許制度が社会、人類にとって何をもたらしたのかを考えてみる時に近代特許制度の母国であるイギリスの近代史を学ぶことが大切です。法の体系を唯、論理だけ厳密に追っかけてみても論理の対立、矛盾が次々に出てくるだけです。特許制度が本当に、健全な産業の発展に役に立っているとキチンと明確に答えられる人はあまり居ません。

もし、皆さんが知的財産のプロとして仕事に遣り甲斐と誇りを持ちたいのなら、何故特許制度は必要なのか?を勉強してください。そして学んだことを反芻しながら更により深い本質的理解を求め続けて下さい。“完全な客観性が不可能であることを認識する能力”を高めてください。知識の量を増やすために勉強するのではありません。人類が獲得した全知識量に比べればひとりの人間が習得できる知識の量やその人と人の相対的な量の差は大した事はありません。

物事の本質を求めることこそ知の本質です。我々は、知的な財産の仕事をしている仲間なのですから、是非、知の本質について深く考えてみましょう。そのためには読書は大変良い方法ですよ。特に歴史について書かれた良い本を読むことは素晴しい体験が出来ます。若い皆さんが自分の人生を豊かで充実したものにするには、学ぶ努力を継続することによって自分は精一杯頑張ったと思えるようになる事だと思います。これが、私自身の43年間の社会人生活の結論です。

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宗定 勇(日本知的財産協会 専務理事)

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