役員談話室
ホンダ・吉野会長との懇談会
2007年10月26日
2007年3月6日に吉野会長を囲む会のあとの食事をしながら気楽にお話を聞く機会がありました。当時常務理事の鈴木副理事長がそのときに印象に残った吉野さんのお話しをまとめてくれていました。 吉野会長にもご了解を得ましたのでこのすばらしいお話の内容を多くの皆さんにご紹介したいと思います。
宗定
知的財産協会の役員をやっていると、ときどき、面白いことに出会います。ちょっと前(2007年3月)になりますが、知的財産協会の会長であった本田技研・相談役の吉野浩行氏との懇談会に参加することができました。 吉野さんとは、2006年度の常務理事時代、何回か、懇親会などで、ホンダのジェット機の話や、アシモの話をしていましたので、面識がありました。今回の懇談会は、全部で10人程度。非公式で、なにをしゃべってもよい、ということだったので、いろいろなことを聞くことができました。ちょっと紹介します。
- ホンダに入社したきっかけ
昭和38年、朝日新聞に募集広告が出ていたんだ。「そのうち、日本の陸上はクルマで溢れる。次の時代は、空だ」。「ホンダで飛行機を作るから、やりたいやつは応募しろ」って。俺は航空工学出身なんだよ。面白そうだと思って応募したんだ。最初の飛行機は頓挫したけど、ついに出来たよな、ホンダの飛行機が。俺が一番やりたかったことなんだ。 - うちのムスコ、ホンダ就職志望なんですよ(笑)。ホンダは若い人に人気があるんですね。ホンダに入社してくる人に特徴はありますか?
おれ、ホンダしか見てないから、よくわからない(笑)。強いていうなら、「これをやりたい」と思って来る人間が他の会社より多いんじゃないかなあ。「環境をやりたい」とか「レースをやりたい」とか。でも、会社は、全員の希望に沿えることができない。むしろやりたいことと一致しないほうが多いよね。
だからね、俺は言っているんだ。「オレは、これをやりたい、と発信し続けろ」って。「やりたいことは複数あってもいい、毎年変わってもいい、とにかく、発信し続けろ」。それでね、それが叶って、やりたいことと仕事が一致すると、その時から、そいつは、メシも食わずにやるんだ。面白いねえ。 - ホンダでは、なぜ、あんなに長く研究開発を続けられるのですか?
毎年、研究開発の進捗が議論され、GoかStopかを決める。それは厳しい議論だよ。でも、Go/Stopを決める人間が、一番継続したいと思っている場合が多いんだ(笑)。「ここまで来ているんだけどなあ。やめるのかなあ・・」。それでね、結局夢を追い続けることになる。 - 社長時代、なにが一番つらかったですか?
クルマのデザインを決めることだね。デザインはね、なんとでも言えるんだ。いくらでもケチをつけられる。だから、「クルマのデザインは、社長が決める」とホンダでは決まっているんだ。悩むんだな、また、これが。毎日、すこしづつ、10回以上直したことがある。オレ、デザインの専門家でもないしさ。つらかったなあ。みんなの目が怖いんだ。売れないと社長のせいにされるからね。 - 知的財産に関連する印象深いことは?
オートマチックが出たとき、とても高い壁になる外国の基本特許があったんだ。回避が難しかった。他の自動車メーカーは、すぐにライセンスを受けに走った。でも、ホンダは、それをしなかった。「絶対、独自技術で自動変速機ができるはずだ」と。だれも疑わなかった。そして、苦労したけど、特許を回避したオートマチックが出来た。それが「ホンダマチック」なんだ。達成感、あったねえ。
CVCCが出来て、マスキー法をクリアしたとき、「CVCC特許プロジェクト」を作った。100人くらいで、明けても暮れても特許だったねえ。おかしくなるくらい特許漬けだったよ。おかげで、次の技術が出てくるまで、特許で独占できた。あれが一番「経営に寄与した」んじゃないかな。 - 技術流出が問題になっていますが、流出の防止は可能ですか?
難しいねえ。中国・韓国では、日本の特許公報を一生懸命みている。だから公開した技術は全部知られていると思ったほうがいい。公開しないノウハウも現地生産に出している。いまは中国ではね、最新の技術を出してクルマを作らないと競争できないんだ。だから、漏れちゃうよ。日本で研究開発を必死にやって、常に先を走り続けることしかないんじゃないか。 - 経営者に知財活動をご理解いただけるには、どうしたらいいですか?
僕はコンペティターの情報が欲しかったね。自社のことは分かっているから、それと対比する他社の情報が知りたかった。経営者には、それをやったらいいんじゃないの。でもね、知財の人は報告書を作るのが上手くないね。とにかく書類が厚いんだ。経営者は忙しいからね。A4一枚だと読むけど、3枚になると、「後で・・」、ということで、机の横に置く。そうしたらその書類を見ることはなくなっちゃうんだ。
ホンダでは、経営トップが、具体的に知的財産に関わっていたんですね。1992年、ミノルタ一眼レフ事件が起きたとき、テレビ朝日に出演した、ソニーの盛田さんもそうでした。「ずーっと、特許戦争をやってきましたからね」と盛田さん。あの言葉は、絶対に忘れません。そして、吉野さんの言葉も。「自分のやりたいことを発信しつづけろ」。ほんとにそうですよ、みなさん。「やりたいことを発信し、形に仕上げましょう」。達成感いっぱい、幸せになります。
鈴木 元昭(日本知的財産協会 副理事長)