ちょっと一言
人生を支えた「言葉」(その1)−秋田高校・鈴木健次郎校長の言葉−
次期新日鐵住金の社長に、進藤孝生さんが就任することが決まりました。進藤さんは高校の同期です。なんかうれしいですね、知っている人が新日鐵住金の社長になるなんて。
高校の同期といっても、秋田高校は1学年に550人もいたので、同じクラスにならないと、よく知らない間柄ですが、彼はとても目立っていました。
彼はラガーマンでした。ラグビーをやって、毎日くたくたになって帰宅しているはずなのに、期末テストの成績はいつもトップクラス。「この人には絶対かなわないなぁ」「頭の構造が違うんだなぁ」と思っていました。 秋田高校は、スポーツが盛んで、野球とラグビーが強い高校でした。ラグビーは、(プロ野球の)落合博満が卒業した秋田工業が強くて全国的に有名でしたが、秋田高校も強かったのです。進藤さんは、秋田高校ラグビー部のロックでした。2年生と3年生のとき、県大会で秋田工業を破り、花園に行きました。そしてベスト4まで進んだのです。
スポーツ部が全国大会で大活躍して校舎に戻ってくると、かならず全員が体育館に集まりました。そして、校長がその成果を讃えました。当時の校長は鈴木健次郎氏、細身の老人というイメージでしたが、演説の最後に、いつも同じ言葉を絶叫していました。
汝、なんのために、そこにありや!
俺たち生徒は、「おおーっ!」と言いながら、半分ふざけて拍手していました。 それがいま、深かあ〜い言葉として胸に残っています。
鈴木健次郎氏は4年間、校長を勤めました。私は2年間、一緒の時間を過ごすことができました。
当時の在校生は、社会に出て、広い分野で活躍しています。ジャーナリストの橋本五郎さんは2年先輩ですが、やっぱり「汝、なんのために、ここにありや」について熱く語っています。新日鐵住金の社長になる進藤さんもこの言葉を胸に刻んでいると思います。
当時の秋高(シュウコウと呼びます)は「自由」でした。秋田の全県からエリートが集まってくる学校でした。学生ひとり一人が誇りを持っていましたし、教師も「ひとりの人間」として扱ってくれました。酒も飲み、煙草も吸っていましたが、「自律」していれば、なんにも言われませんでした。
毎日の学校生活を通じて、「自由」と「自律」を学んだように思います。すべて、鈴木健次郎校長が作ってくれた環境だったんだなあ、といま思っています。
会社に入ってから、一時期、「自由」は奪われました。ストレスに負けそうなときもありました。でも、「自由」を求めて、辛抱強く闘うことができたのも、鈴木健次郎校長のおかげだと思います。
そしていま、「自由」です。「自立」しています。秋高(シュウコウ)時代の生き方が出来ています。 「自由に生きることが人生を豊かにし、幸せをもたらす」、鈴木健次郎校長に教えてもらった生き方ができていると思っています。「自由」であるために、「自律」して、イノベーションを続けることが必要であることも痛感しています。
下のコラムは、鈴木健次郎校長が秋田高校を去るときの演説の最後の部分です。当時は理解できなかったことですが、いま読んでみると感動します。小生はめぐまれていました。
(M.S.)
私は、これからの諸君に望みたいことは、今の民主主義というものは、ともすれば、外部の権力に対抗する抵抗として考えられますけれども、本当の民主主義とは、自らの内心にある邪念・欲望に打ち克つことであります。その自らの内心にある邪念・欲望に打ち克ってはじめて、本当の意味の民主主義というものが確立されるのであります。
そういう意味において、これからも、生徒諸君は、一人一人、自らの邪念・欲望に克って、皆と協力のできる学園を作っていただきたいと思うのであります。
私は秋高を愛する、それが故にまた再びここに、諸君に入学式に際して述べた同じ言葉を繰り返して、お別れの言葉にいたしたい。
『汝何の為に其処に在り也』
この言葉にはっきり断言のできる生徒一人一人の毎日の生活であって欲しいのであります。」
秋田高等学校の校章とスクールカラー