ちょっと一言

知財管理3月号編集後記より

  年度末の3月を迎え,皆様,慌ただしくお過ごしのことかとお察し申し上げます。お忙しい年度末の業務の合間のちょっとした気分転換に明治時代の先人の偉大な足跡をご紹介します。  

 来月,4月と言えば4月18日は発明の日です。ご存じのように,発明の日は現在の特許法の前身である「専売特許条例」が1885年(明治18年)4月18日に公布されたことに由来して定められた記念日ですが,その2年前の1883年(明治16年)に既に米国特許を取得した日本人がいたことをご存じでしょうか?  

 その名は平山甚太,横浜で活躍した花火師だそうです。詳しくは特許庁の元特許技監,櫻井孝氏の名著,『明治の特許維新〜外国特許第1号への挑戦!〜』(2011年4月18日,社団法人発明協会刊)をご覧下さい。
その特許は,打ち上げると風船のような物体が飛び出してふわふわ空中を漂う昼花火でした。平山甚太は花火の製造,供給を行っており,横浜の大花火大会を開催するなど精力的に事業を行っていました。自社の花火職人5名を米国に派遣して技術研修と自社製品の紹介に努めて米国事業拡大を狙っており,そのため米国特許を取得したようです。  
 西洋の特許制度を日本に紹介した福沢諭吉と縁があったようですが,日本に特許制度がない時代に,既に事業への活用を意識して米国で特許を取得するという進取の気性,先見の明,戦略性に驚かされます。当時は手続きも代理人もわからず現代の我々が外国出願するのとは比較にならない多くの障壁があったはずです。  

 なお本書には,130年前のその特許出願書類一式を納めたファイル・ラッパー(包袋)や特許査定書など,マニア心をくすぐる資料も満載です。「patent」という言葉の由来や,太平洋をまたぐ日米間の通信手段が船便しかなかった時代に,手続補正指令に対して平山甚太がわずか7日後に対応したことに対する謎解きなども記されており,ご一読をお薦めします。  

 さて,今月の「知財管理」誌はいかがでしたでしょうか。電子書籍に対する出版社の権利,米国意匠重要判決,米国証拠法等,多岐にわたる内容をお届けできたと思います。4月号は特集号として「知財パラダイムシフト」をお送りしますのでご期待下さい。4月より表紙がリニューアルされますので,そちらもお楽しみに。

(T. I.)

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