ちょっと一言
知財管理8月号編集後記より
「自分のオリジナルカップヌードルを作れる」、横浜・みなとみらいにあるカップヌードルミュージアム。日清食品(株)の創業者でインスタントラーメンの父と呼ばれる安藤百福氏の発明記念館でもあります。安藤氏は、チキンラーメン発明時は48歳、カップヌードル発明時は61歳、そして、スペース・ラム(宇宙食)の発明は95歳のときだったそうです。自伝『私の履歴書―魔法のラーメン発明物語』(日本経済新聞社刊)等によれば、インスタントラーメンの研究をしていた安藤氏は、ある時、仁子夫人が天ぷらを揚げているのを見て、麺を油で揚げて乾燥させる方法を発明しました。そして、1958年、チキンラーメンを発売。湯を注ぐだけでおいしく食べられる、「魔法のラーメン」と呼ばれ、瞬く間に人気商品となりました。
1962年に即席ラーメンの製法の基本特許が登録。113社に警告した安藤氏でしたが、1964年には一社独占をやめ、日本ラーメン工業協会を設立し、各社に実施権を与えました。この時安藤氏は「日清食品が特許を独占して野中の一本杉として栄えるより、大きな森となって発展した方がいい」という有名な言葉を残しました。
さらに、安藤氏は、チキンラーメンを二つ折りにして紙コップで食べているのを見て、カップ麺を発想しました。そして、1971年、世界初のカップ麺「カップヌードル」を発売。発売当初は売上に伸び悩んだそうですが、1972年2月、あさま山荘事件のテレビ中継放送で、厳寒の中、湯気の上がるカップヌードルを食べる機動隊員の姿が映り、何を食べているのか興味を持った視聴者からの問い合わせが殺到し、爆発的に売れ行きを伸ばしたのは有名な話です。
商業的成功は思いがけないきっかけから起こり、研究開発・大発明のヒントは、意外と身近なところにあるのかもしれませんね。 「即席麺開発に成功したとき、私は48歳になっていた。遅い出発ともいわれるが、人生に遅すぎるということはない。50歳でも、60歳でも新しい出発はある。」という安藤氏の言葉は、新しいことにチャレンジしようという気持ちにさせてくれました。
さて、今月の「知財管理」誌は如何でしたでしょうか。特許出願を担当する私は、「審査促進に関する各国制度についての調査・研究」の記事が大変参考になりました。皆様に於かれましてもご参考になる記事がありましたら幸甚です。
(K.S.)