ちょっと一言

ドイツと日本の架け橋

ラーンさんと、初めてお会いしたのは、2006年5月のことでした。現在の会社に入ってすぐ、ミュンヘンに出張する機会があり、ホフマン・アイントレ特許法律事務所を訪問したときのことでした。事務所のスタッフ数名と共に、ラーンさんにお会いしました。

そのときは、英語に堪能な上司が一緒でした。彼は英語が上手な上、とてもおしゃべりでしたので、ほとんどの時間、彼が英語で皆さんと話していました。小生は、会話に参加できず、小さくなっていました。

夕方になって、すてきなレストランに行きました。そこでも会話に参加できず、ビールばかり呑んでいました。下ばかり向いていたので、ラーンさんに関して、強い印象を持っていません。でも、日本語を話せるやさしい人がいるということを感じました。

その後、上司が会社を去り、小生が知的財産事業部の経営を任されることになりました。外国とのビジネスは不得意なので、外国のことは、部下に任せ、小生は、もっぱら、日本国内での仕事に集中しました。その仕事のひとつに、日本知的財産協会の活動がありました。

2006年11月、小生に、日本知的財産協会から要請がありました。日本知的財産協会が開催する「JIPAシンポジウム」にパネリストとして参加するようとのことでした。小生は、「野党的発言」が多く、「主流の意見」ではないので、不適任だと主張して辞退しましたが、「主流の人物を配置するから、その対抗馬として、是非参加していただきたい」ということで、半ば強制的に登壇させられました。テーマは、「進歩性」でした。この時期、裁判所の進歩性判断と特許庁のそれが大きく違っており、社会的な問題になっていたのです。

2006年11月、JIPAシンポジウムの開催スタッフが悩んでいました。「特許庁、アメリカの弁護士、日本企業代表者2名のパネリストは決まったんだけど、ヨーロッパの弁護士が決まらない。困った」。それを聞いたとき、ラーンさんを思い出し、「ラーンさんがいい」と、推薦しました。日本知的財産協会・常務理事の加古さん(豊田自動織機)も、ラーンさんがぴったりだと推してくれました。

そして、2007年2月20日、東京国際フォーラムの壇上に、あがりました。ラーンさんのプレゼンテーションは、進歩性の判断手法に関するEPOの手順と最近の動向についてのものでした。パワーポイントは、すべて『正確な日本語』で書かれ、発表も『綺麗な日本語』で行われました。1,000名弱の聴衆者が集まりましたが、日本人みんなに、とてもわかりやすく、印象深く伝わりました。このとき、ラーンさんは、日本で生じている問題をしっかりと消化し、その上で発表内容を吟味していたのです。印象に残るはずです。

そして、2007年9月、東京の経団連会館で、国際シンポジウム「ドイツと日本における特許訴訟」が開催されました。

ここで、ラーンさんは、「ドイツにおける特許紛争への企業の対応」という表題で講演を行いました。なぜドイツにヨーロッパの裁判が集中するのか、企業はどう対応すればいいのか、を語ってくれました。その後、パネリストとして再び登壇しました。ほとんどの質問がラーンさんに集中しました。他のパネリスト4名は手持ち無沙汰の様子でした。

ラーンさんは、日本人の心をしっかりとつかんでいました。この時点で、「ドイツと日本の架け橋」になりました。

2009年9月、ミュンヘンで、「International SYMPOSIUM “Patent Litigation in Japan and Germany”」が開かれました。この会議は、すべてラーンさんが取り仕切ったものです。「架け橋」は、強固なものになりました。

ラーンさんが、なぜ、日本人の心をつかむことができるのか、いつくか理由があるような気がします。

ラーンさんの『日本語』は、とても綺麗です。最近、日本では、『日本語』が乱れ、スラングが多用されています。とくに若者の日本語がひどく乱れており、彼らのブログを見ると、我ら古い日本人には内容を理解することができません。また、下品な表現が平気で使われています。

これに対し、ラーンさんの日本語は、昔の『正しい言葉』が使用されます。辞書に載っている言葉です。また、それが辞書の意味どおりに使われます。ですから、聞いていて、『品』のあるお話しになります。

また、日本人特有の習慣を身につけていらっしゃいます。ビジネスで、日本人同士が接するとき、ある一定の距離を置きます。わざと『あいまいさ』を残すのです。アメリカ流に、いろんなことを細部まではっきりさせるのは、両者の間にぎすぎすした感じを抱かせるだけなので、日本人は、全部をはっきりさせることを嫌います。この点を、ラーンさんは、よくご存知なのです。

それから、『礼』を身につけていらっしゃいます。日本の『礼』の説明は難しいのですが、「日本の文化を理解した上で、相手を気遣う」といったところでしょうか。ラーンさんは、日本の文化を、日本人以上に理解されています。日本の歴史にも、とても詳しいのです。

『あいまいさ』の理解、『礼』、そして『上品なユーモア』。ラーンさんのファンが多いはずです。

ラーンさんが作った『架け橋』は、うれしいことに、ホフマン事務所の若手に支えられるようになりました。どんどん、大きな『架け橋』になっていきます。

また、『架け橋』を支える若人は、事務所以外にも広がっています。ドイツ人、日本人、多くの人が交流できるようになりました。この『架け橋』、永い間、続くことになりそうです。

ラーンさん、どうもありがとうございました。

(JFEテクノリサーチ シニアフェロー 鈴木元昭)

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