ちょっと一言
ウィーンにて
ドイツ人弁護士に恋をした。
・・・といっても、仕事で関わりを持った時点で恋の終わりもみえていたようなものだが(自分でいうのもナンだが、私は公私混同をしないし、弁護士には厳しい)、初めてヨーロッパ大陸に足を踏み入れたのはわずか1年前、ウィーンへの出張以来すっかりヨーロッパびいき、それもドイツ語圏びいきになっていた私は、恋の病と相まってお盆休み中の超短期ドイツ語学留学を画策していた。結局お盆休みは休出で消えてしまったのだが、意気消沈していた私をみた上司はウィーン駐在時代の知識と経験を総動員、急遽代休+αでウィーン大学夏季ドイツ語研修に参加できることになった。かように恋は無敵、いや持つべきものは愛ある上司である。
そしてドイツ語研修第一日目。前日クラス分けが行われたのだが、私は面接時間10秒にして一番下のレベル1に決まった。なにせ”Danke(ありがとう)” “Guten Tag(こんにちは)” それから”Ich liebe dich nicht(私はあなたを愛していない)”ぐらいしか知らないのだから当然である。なので最初の授業が始まるまでは、他の人も初心者だし、授業は午前中だけだし、とごく気軽にクラスメートとの交流に勤しんでいた。が、いざ授業が始まると・・・アルファベットの説明もない。発音練習もない。いきなりドイツ語で自己紹介させられ、テキストもドイツ語オンリー、先生の説明もほとんどドイツ語である。
(え、英語は・・・?)
不純な動機はともかくとして、私はドイツ語を(日本語でなく)英語で学ぶためにわざわざ語学留学したのだ。しかも、私とその隣に座ったエリー(アメリカ人男性)を除き、クラスメートはどうも先生の話を理解している。かくして私とエリーは初日で落ちこぼれ、毎日のように「英語で会話しない!」と注意されることになった。ちなみに私がクラスで一番初めに覚えたドイツ語は”hausaufgabe(宿題)”であり、エリーのそれは”pause(休憩)”と思われる。
さて、ウィーンは音楽の都として名高い、美しい街である。私は出発前、心を躍らせながら今回のウィーン滞在のテーマを上司と決めていた。テーマは「エレガンス」。この際、シシィ(=エリザベート皇妃)を見習って女性としての自覚と魅力を取り戻し(?)、あわよくばエレガントなオーストリー男性のエスコートで優雅な休日を過ごそう、という算段であった。
ところが、である。授業が終わり、昼食を食べて帰宅、宿題をしつつ夕食を食べたらもう夜中である。かといって最低限宿題をしなければ、翌日の4時間(授業)は悪夢と化すことは間違いない。私は連日髪を振り乱し、夜は(文字通り)辞書を抱えて眠ることになり、「エレガンス」とはほど遠いウィーン生活が始まった。特にドイツ語研修が始まって数日間はメールをチェックする余裕さえなく、気づいたら上司からは悲鳴に近いメールが届いている始末である。これはまずい・・・私は、「エレガント」なウィーンで勉強と宿題、それに仕事という「エレガント」でない日々を送る覚悟を決めた。
ウィーンでの二週間は思いのほか慌しく過ぎていった。ドイツ語のクラスでも一週間を過ぎる頃には、「ドイツ語はできないけどおもしろい」日本人としてのイメージが定着していた・・・そう、落ちこぼれ仲間のエリー以外には。エリーは小テストで、よりによって私の答えをカンニングしたらしく、「私の答えを写しても意味ないじゃん」といったらショックを受けていた。以来私は、銀行家(banker)というエリーの肩書きを全く信用していない。
そして最終日。授業の後、私は後片付けの手伝いをしながら先生にいった。「この二週間本当にありがとうございました。私のような生徒を持って、さぞかし、えーっとchallengingだったかと思いますが、私は先生から習うことができてよかったです。」最後の挨拶まで英語だったのがショックだったのか、先生は一瞬困ったような顔をし、それでもすぐに微笑んで答えた。「そんなことないわ。あなたのようなフレンドリーな生徒がいると、クラスの雰囲気がよくなるから助かったわ。」そしてエリー。フランス人よろしく私の両頬にキスをしていった。「じゃあねsweetie、僕のメールアドレスは知っているよね。Keep in touch!」
残念ながらその後エリーからの音沙汰はなく、冒頭のドイツ人弁護士とも仕事オンリーの関係が続いている。ウィーンでエレガントなオーストリー男性と恋に落ちることもなかった。それでも私は、ウィーンから持ち帰った独英・英独辞書3冊をみては、一人ニヤけながら仕事をしている。いい歳の独身女性が辞書をみてニヤニヤしている図は、かなりヤバいと自分でも思うのだが、所詮恋は妄想だし、などと一人ごちている。心優しい上司はそんな私にまだ気づかないのか、「楽しかったみたいでよかったね」と微笑んで、以前と変わらぬ態度で私の仕事ぶりを見守ってくれている・・・今のところは。
(落ちこぼれ新米委員)